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「インターネットで簡単に繋がれる今だから想うこと」

2012/05/06 10:37

 

 ロシアかどこかの名優が舞台で背を向けて食事のメニューを読み、観客を泣かせたらしい。

それほど声には出された言葉にひそむ意味を超えた力がある…

10年程前に出版された「声の力」(岩波書店)の中で詩人の谷川俊太郎さんが書かれていた。

 

先日、飲みながら友人とツィッターやFacebookの話をしている際、ふとその本について思い出した。

彼はどちらも登録して活用してはいるのだが、最近、不信感を持ち始めているそうだ。

簡単に他人と繋がることができるが、どこか虚構の世界の中で会話をしているような感覚になり、リアルな会話との間に温度差があるように思えてきたと言う。

 

本来、ネットで繋がっただけの薄っぺらい関係のはずなのに、それ以上の関係性が築かれていると思うことは確かにある

そこには声がないのだ。

いくら会話が盛り上がっているように見えても、あくまで文字上にすぎず、仮面をかぶっている人同士で筆談しているに過ぎない。

気のない返事というのは声だとわかっても、文字であれば、「へぇ~!すご~い!」と書けば、真剣に聞いている(読んでいる)ように思え、文字面上では成り立ってしまう。

実際は、そう書いた人がテレビを見て、あくびをしながらキーボードを打っていたとしても。

 

現在、僕は岐阜の田舎で書き仕事をしている。

インターネット上で会話をして、仕事もほとんどメール上でやりとりさせていただくことが多い。

どこにいても仕事ができるのはインターネットのおかげであることは間違いないし、ありがたいことだと心から思う。

誰かから紹介を受け、顔も知らない方からメール上で依頼されることもあり、

僕も気楽に返事を返し、交流もしくは仕事が始まったりする。

会わないまま仕事が終わったこともある。

今までは特にそれで気にしたこともなかった。

しかし、彼と話をしているうちに考えてしまった。

そういえば、ここ数年、新しく出会った人と直接、会って話をすることが億劫になっているような気がする。

 

先程、触れた「声の力」を再度、ぱらぱらめくっていると、数年前に亡くなった心理学者の河合隼雄さんが警鐘を鳴らしていた言葉が目に留まる。

「悲しいと言ったって、どんな顔をしているのか、どんな声で言っているのかで全く違いますからね。

ところが文字にしたら、「悲しい」しかないわけでしょ。

だからいまはある種のことが電波と文字で簡単にできるから、みんな実際に触れるということをちょっとサボり過ぎている気がしますね」

インターネットで簡単につながれる今だからこそ、肝に銘じておこうと思う。

 

 

手紙だとまた違うんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

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「一流のアマチュアと二流のプロ」

2012/04/04 16:23

 

 岐阜でヤギにまつわるHPを立ち上げてから、この夏で2年になる。

実際、自宅でヤギを飼い始めてから約1年が経つ。

HPというのは不思議な可能性を秘めた媒体で、決してアクセス数が多いわけではないが、

このところヤギに関する問い合わせが多くなった。

「老人ホームでヤギを飼おうと思っているんですが、除角はした方がいいでしょうか?」

「ヤギはどこで買えるんですか?」

メールで質問を送ってくださる方もいれば、

よく遊びに来る結保育園をHP上に載せたため、保育園経由で電話の問い合わせがきたこともある。

「僕はヤギの専門ではないですが…」

という前置きをしてから体験話を始める。

わからないところは正直に申し上げ、どこに聞けばいいかということを伝える。

 

現在、月に一週間程度は東京に滞在しているが、

東京にいる間もヤギにまつわる話が多くなった。

ヤギを教育に取り入れている新宿区の小学校の校長先生と情報交換、

渋谷のヤギカフェの取材、

雑誌の特集企画で登場するヤギの相談など、

先月は一週間の滞在のほとんどの用事がヤギにまつわることだった。

一年前には考えられなかった展開である。

 

もちろん嬉しいことではあるし、

相変わらず、ヤギについて語り始めると止まらない。

しかし、話せば話すほど冷静な自分も現れる。

自分がヤギの専門家、つまりヤギのプロフェッショナルでないことが気にかかる。

その前にヤギのプロフェッショナルって何だって話になんだけれど。

 

プロとアマチュアの違いを広辞苑から抜粋すると

アマチュア=職業としてでなしに、趣味や余技として携わる人。

プロフェッショナル=専門家。職業としてそれを行う人。

僕はヤギの研究者でもなければ、

ましてやヤギ牧場で畜産農家でもないし、

ヤギ専門の獣医になろうと思っているわけでもない。

言ってみれば、ヤギは趣味で飼っているだけ。

言い方に語弊はあるかもしれないが、ヤギのアマチュア。

 

では僕のプロの部分は何か。

現在、僕は職業欄に著述業と書く。

ただ、ここにも何度も書いているが、著述業を仕事にしたのは40歳を超えてから。

一流とは程遠く、二流、いや、三流のプロの著述家である。

日々、書き続け、まずは二流のプロになれるよう精進しているところ。

 

その僕が今、プロとしてヤギに関われることは何だろう。

これは今まで考えたことがなかった。

なら考えるだけのこと。

そして出した今の段階での結論。

 

ヤギについての魅力を、文章を通して伝える、もしくは表現することが僕のできること。

もっともっとヤギのことを知り、

もっともっとヤギ飼いの人々の話を聞き、

様々な媒体にヤギについて書き、何年か後にヤギの魅力を伝える本を作ることを目標にしたい。

そのためにもヤギに関しては一流のアマチュアを目指し、著述家としては二流のプロを目指していこうと思っている。

 

 

ヤギを巡るセカイサンポってのも悪くないなぁ。

ちなみに写真は西アフリカブルキナファソで出会ったヤギ。

当時はまさかヤギ飼うとは思っていなかったよなぁ。

人生って面白いですね。

 

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「鼻毛と爪。金髪と産毛」 

2012/03/07 15:09

 

なでしこジャパンの佐々木監督が奥様に鼻毛だけはチェックしなさいと言われたという話。

昨年、いろいろな場所で流れ、本にもなったのでご存知の方も多いと思う。

奥様が勤めていた先で、ものすごく仕事ができる上司がいたが、彼の鼻から鼻毛が出ていたため、女性社員からの信頼と尊敬が得られなかった。

女性は仕事の能力とは関係ない部分で、その人の評価基準を決めてしまう例として挙げられていた。

人は見た目ではない…と言いながらも残念ながら現実はそうではない部分もある。

これは女性だけではなく、男性にも言えることだと思うけれど。

 

僕の知人の女性は、どれだけ恋心をいだいていてもその人の爪が伸びていた瞬間、冷めると言っていた。

「イシコさんの爪の長さでぎりぎりかなぁ」

そう言いながら僕の爪もチェックされた。

妙に恥ずかしくなり、実はその日に爪を切ったばかりだとは言えなかった。

「身だしなみだからね!」

ダメ押しのように彼女は言った。

 

いったい身だしなみとは何なのだろう。

僕は彼女にそうぶつけると帰ってきたのは「社会人の常識」。

「社会人の常識ってそもそも何?」

と更にぶつけてみた。

「自分に会う人に対する思いやり」

と彼女は言った。

 

僕は金髪だった時期が長い。

その時期に政党や省庁などいわゆる固い場所の仕事を請け負ったこともあり、

当時、風当たりが強く感じたこともあった。

「金髪は大人の身だしなみとしてどうかね?

それだけで、かなりハンディキャップを背負っているね」

と露骨に言われたこともある。

こういったことも思いやりが足りないってことなのだろうか。

結局、最後まで金髪で仕事をしていたけど。

彼女は「う~ん」と唸った後で、

「ちょっと違うかなぁ…」

と言った。

 

別の例を探してみた。

ある飲食店で、美人スタッフが応対してくれた時のことである。

30代前半くらいの女性でスーツ姿が似合い、てきぱきと動き、気づかいも素晴らしかった。

その彼女が僕に水を注いでくれた時、何気なく肌に太陽光が当たった。

すると鼻の下の産毛が浮き出るように見えたのである。

その瞬間、リリーフランキーさんのエッセイを読んだ時の記憶が蘇ってきた。

彼は産毛を処理していない女性が嫌いだとその中で書いていた。

僕はその文章を読むまで女性の産毛に気づいたことがなかったが、それを境に女性の産毛が気になり始めていたのである。

「それも女性の身だしなみってことで、

社会の常識ってことで、

それも彼女には思いやりが足りないってこと?」

と聞いてみた。

 

「そんなことを気にする男なんてサイテーだね!」

彼女はそう言い放った。

「えっ?そこ?論点が違わないか?」

そこからは何だかおかしな言い争いになった。

能力と関係ないところでの評価基準や身だしなみについての話はどこかに行ってしまった。

 

まぁ、結論としては鼻毛が出ていたら、

「鼻毛が出ていますよ。ぴよ~んって音が出そうな程…」

ちょっとユーモアを加えてこっそり教えてくれる女性がいいということ。

理想の女性を聞かれたら、しばらくそう答えるようにしようと思う…とその場をまとめようとしたら、

「それこそ論点とまったく関係ないじゃん!」

とまたまた怒られた。

この話はもう少し考える余地がありそうです。

 

 

髭も身だしなみですかねぇ。

 

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「本音について本音を言うと…」

2012/02/06 15:29

 

「本音を語るのは9割にしておけ。

残りの1割は家族にも語ってはいけないよ」

若い頃、ある社長から言われたことがある。

どんな状況で、なぜ彼がそう言ったのかは思い出せない。

でも、その言葉だけが妙に脳に残ってしまった。

 

そして、いつも脳の引き出しの奥にしまわれていて、時々、顔をのぞかせる。

だからだろうか。

「それ本音?」

と聞かれると今でもドキッとする。

そして、

「あれ?本音じゃないかも?」

と自問自答する。

 

例えば映画や芝居を観た後に感想を求められると

「面白かったですよ」

とたいていどんな作品でも肯定してしまうので、

「本音で言えよ」

とからまれてしまうこともある。

「面白くなかったら寝ているよ。

感想については頭を整理してからメールででも詳しい感想をいれるから」

それに関してはこう否定する。

 

一時期、終演後に聞かれるだろうなぁということを意識していて、

「ここは面白い」、

「ここはあまり好きじゃなかった」

などと考えをあらかじめ用意しておいた時もあった。

しかし、観ながら考えるので、せっかく好きなエンターテイメントを観ているのに疲れてしまう。

ある日、この感想って本音なのかなぁと自問自答してしまった。

どこか薄っぺらい気がしたのである。

聞かれるだろうから建前上答えるという、まるでどこかの答弁のような感じになっているのではなかろうかと思ったのだ。

それからは答えを用意することはやめてしまった。

 

終演後、聞かれた時に、ふっと湧いてきたことを言っていた時期もある。

ただ、一斉にいろいろなことが頭に浮かぶので、

その場で整理してわかりやすく話をすることが苦手な僕は、意見がとっちらかってしまい、自分でも何が言いたかったのかわからなくなることがある。

そのうち、

「もう何でもいいじゃん。とりあえず楽しかったんだから!」

と言ってしまい、すごく怒られたことがある。

しかし、実はこれが本音に一番近かったりする。

 

タレントや政治家、スポーツ選手などが記者から突撃取材を受けるって大変だろうなぁと思う。

ノーコメントは印象が悪く映るし、

不用意な一言をぱっと言ってしまうとそれはそれで大変な反響になってしまうのだから。

実はそれが本音で、マスコミもそれをねらっているんだろうけど、

逆にそんな悪意がないことも多いのではないのではないかと思うこともある。

映像だと前後の脈略なしに編集で切りとって、何度も繰り返して流してしまう。

司会者やコメンテーターが

「許せませんね~」

「どういうつもりなんしょう?」

「本音が出ちゃいましたね」

などと言うことで発信した本人の本心とは関係なく視聴者に植えつけられてしまう。

 

じゃあ、文章で本音を書いて伝えるのがいいのかと言うと、

ツィッターのように本音以上に感情だけが先行することもあれば、

メールのようにちょっとしたニュアンスの違いで間違って伝わることもある。

何度も推敲して、つじつま合わせをして、発信するとこれはこれで建前に近くなってしまったりもする。

 

本音を言うことが善のように言われるが、

本音を言わないことで善になる場合だってあることも否めない。

考えれば考える程、本音というのは難しい。

わかることは一つだけ。

自分に対して偽った気持ちが口から出た時だけは自分自身が一番わかっていたりする。

あくまで僕の場合だけど。

 

 

本音メーターがあったら怖いよなぁ。

あれ?嘘発見器って本音メーターの一種か?

 

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「年々、一年が早く感じる理由」

2012/01/20 11:54

 

「はっ!」

と我に返ると、すでに一月も3週目が終わろうとしている。

 

 

年末から年始にかけて、一年がやたら早いんだよなぁと言う人が多かった。

それだけみんな年をとったということなのだろう。

冷静に外から見ているフリをしている僕も、実は、そう感じている一人である。

 

どうして年をとるごとに一年が早く感じるようになるのか。

ある忘年会の際、年を経るごとに刺激が少なくなるからだと教えてくれる人がいた。

「へぇ~」

とうなずいた。

確かにそうなのかもしれない。

 

ある新年会でその話をすると

「ならば刺激が多い人は何歳になっても一年は長く感じるのかなぁ…。

例えば出張や旅が多い人とか」

と言った人がいた。

 

出張はわからないが、旅はある程度、僕にも経験があり、確かに思い当たる節はある。

僕だけかもしれないが、旅が多かった年は確かに一年が長いような気がする。

それでも年末には

「一年経つのが早いなぁ」

と言うんだけど。

 

旅の種類にもよる。

例えばリゾート地に10日程行って、海辺で一日中、ごろごろしているだけの生活を送ったとする。

一見長く感じそうだが、そう思うのも初日、二日目まで。

一旦、その時間の流れが身体に馴染んでしまうと、

そこから残りの一週間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

たいてい帰りの飛行機で一緒に行ったパートナーと

「あっという間だったね」

と言っている。

 

逆に取材旅などで移動やらプログラムやら会食やらの予定が詰まっていたりすると長く感じることはある。

長くというのとはまたちょっと違うかな。

「長いようで短かった」

という表現が近いのかもしれない。

きっと同じリズムの時間の流れに身をまかせると、あっという間に時間は流れていくのかもしれない。

 

セカイサンポという企画で世界の街を歩く旅から戻ってきて今年の春で3年が経つ。

時折、出張はあるが、基本的には岐阜の生家で朝6時に起きて、夜10時には寝るという生活リズムが身についている。

そのせいかもしれないが人生の中で一番、短く感じた3年だった。

ただ、その分、籠って自分の可能性を信じて書き続けた日々であったようにも思う。

 

さてさて、今年はどんな一年になるのだろう。

まぁ、どちらにせよ、「ふっ」と気を抜いた時に、月日が経っていることに気づくのだろう。

そして12月になったら、やはり「は」行の、

「ひぃ~!」

と言って終えるのだろう。

まぁ、それでもみんな健康で過ごせれば、それだけで幸せだと思う。

皆様も素敵な一年でありますように。

遅ればせながら今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

今年もヤギとの時間を大切に過ごしたいと思っております。

 

 

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「親の死について」

2011/12/17 16:42

 

パートナーの母親が逝った。

延命措置をしないことを彼女の家族が決めたのが9月。

医師から余命は1ヶ月と告げられた。

 

10月に入り、彼女から

「お母さんがそろそろ危ない」

と連絡をもらい、岐阜にいる間も、いつでも東京に行けるようにしていた。

パートナーは時間を見つけては片道2時間半かけて千葉の病院まで見舞いに出掛けて行った。

 

そうこうしているうちに1ヶ月が経ち、病状が安定してきた。

その間に僕も一週間程、東京に滞在し、彼女と一緒に見舞いに行った。

 

そして余命宣告から2ヶ月。

僕が岐阜に戻り、

名古屋の劇場で、「ピアフ」の芝居を拝見し、

「死ぬのは一回しかないからね」

エディット・ピアフの親友トワーヌがつぶやく台詞を胸に刻みつける頃、

パートナーの母親は眠るように逝ってしまった。

 

劇場からそのまま深夜バスに乗り、東京に向かった。

パートナーも彼女の家族もある程度、心の準備はできていただろうが、いざ、亡くなった時の感情は違うだろう。

泣きはらしたパートナーを想像したが、意外にも彼女は、にこやかだった。

「お母さんの前では笑顔でいようって決めたんだよね」

一瞬、僕の方の笑顔が崩れそうになるのを、ぐっと耐えた。

 

密葬に近い葬式が終わり、23日した頃だろうか。

普段、弱いところを見せない彼女が、ふとした時に寂しそうな表情を見せるようになる。

彼女に悲しみがじわじわ押し寄せてきていることは鈍感な僕でさえもわかった。

 

「親が亡くなる」ということが、特別な別れなのだということを改めて考えさせられた。

親はいくつで亡くなろうがつらい。

一般的には子供が若いうちに親を亡くすと、

「まだ、お子さんが小さいのに…」

と言われる。

 

僕の父は小学校の頃に逝ってしまった。

亡くなった時は泣き叫んだが、

父との想い出が少なく、複雑な感情が育つ前だったので、

今から考えると僕が子供で救われたことがあったのではないかと想うこともある。

もちろん今でも父と酒が酌み交わせたらなぁと思うことはあるけれど。

 

それでは逆はどうだろう。

例えば友人のお母さんは70歳を超えているが、

そのお母さん、つまり友人からすれば祖母にあたる方も100歳を超えて、お元気なのだそうだ。

もし、その100歳を超えたお母さんが亡くなった時、周囲は

「大往生だね」

と言うかもしれないが、70歳の子供は、どうだろう。

やはり、つらいのではないのだろうか。

二人の想い出は70年分詰まっているのだから。

 

まぁ、親の死について、「早い」、「遅い」なんてことを考えること自体が馬鹿げているし、結論も出るわけはない。

ただ一つだけ言えるのは、人は誰でも死ぬことだけは平等に訪れ、その時期は誰にもわからないということ。

さてさて、現在、実母の葵ちゃんから僕が急に優しくなって気持ちが悪いと言われている。

 

 

 

パートナーの実家に行くと、いつも優しい笑顔で迎えてくれた。

ありがとうございました。ゆっくり休んでください。

 

 

 

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「「幸」のイメージ」

2011/11/22 13:49

 

「幸」の漢字は元々、拘束具の手かせの様子を描いた象形文字だったと教えていただいたことがある。

つまり刑罰を意味する文字だった。

その後の詳しい流れはよくわからないが、「しあわせ」に「幸せ」の漢字を用いるようになったのは江戸時代以降らしい。

 

様々なところで話題になっている映画「幸せの経済学」を拝見した。

30年前まで外国人立入禁止区域だったヒマラヤの辺境ラダックは、

先進国から見れば不便な部分を感じるかもしれないが、

7代の先の子孫のことまで考えながらの持続可能な豊かな生活を送っていた。

それが西欧の消費文化が押し寄せたことによって、

ほんの10年で穏やかな生活が壊れていった話を軸に様々な知識人が論じていくドキュメンタリー映画である。

この映画のテーマになっているグローバリゼーションとローカリゼーションの是非に関する話は、

今の僕には意見を言う程の知識もなく、考えも成熟していないので触れないが、

それより僕がこの映画で考えさせられたのは「幸せ」の概念についてだった。

 

数年前だったか「国民の幸福度」が、日本は世界で90位(正確な順位は忘れてしまった)だったニュースをインターネットで見かけたことがある。

セカイサンポの旅の途中、

外国人にこの話をすると日本のように治安がよく、

飢餓の心配もない国なのにどうして「幸福度」が低いのか不思議だと言われた。

僕も正直、その結果が腑に落ちなかった。

 

しかし、日本に戻り、10年連続自殺者が3万人を超えるニュースや

笑顔の少ない電車の中、

周囲のいろいろな人の話を聞いていると、

日本の幸福度の低さもまんざら嘘ではないかもなぁと、

このところ思うようになっていた。

 

ただ、改めて、みんなの幸せって何なのだろう。

「いい車に乗りたい」

「大きな家を持ちたい」

など単純な物欲が達成された時に味わう感覚が幸せだというのはわかりやすいが、

恐らくそんなに長く続く感情ではない。

 

お金はものすごく大事だし、

もちろん「幸せも金で買えますよ」と言い切る人はいるかもしれないけれど、

たいていの人は、「幸せ=お金」だけじゃないと思っているのではないだろうか。

 

それでは今の悩みが消え去れば幸せになれるのか。

これもクリアになった時の感覚は幸せだろうが、

たいてい次の悩みがやってくることが多い。

家族、健康、希望、笑顔…キーワードになる言葉やそれを組みあわせた言葉はいくつも頭に浮かぶが、

「これだ!」と言い切れるものはない。

当たり前と言えば当たり前なんだろうけど。

 

もっと根本的な部分なのではないだろうか。

生きているだけで幸せなんじゃないだろうか。

いや、人と比べて自分の幸せを感じているのではないか。

いやいや、人と比べない自分の存在が確立できた時に幸せを感じるのではないか。

いやいやいや、そもそも幸せなんて言葉はいらないんじゃないか。

考えれば考える程、わからなくなっていく。

幸せ、幸せって考え過ぎているうちに、考えること自体が手かせ足かせになり、

「幸」本来の意味合いに戻ってしまいそうである。

 

 

僕はヤギ見ていると幸せなんだけどなぁ…って、その幸せは?って考え始めると混乱してしまいます。

 

 

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「ほら吹きでいこう!」

2011/11/02 14:45

 

以前、知人が初対面の方に僕のことを紹介する際、

「イシコは、ほら吹きなところがあるけれどね…」

と言って笑った。

もちろん冗談ではあるが、僕自身、心当たりは山ほどある。

いつもやりたいことを口で言っているものの、そのほとんどが前に進んでいかないからである。

 

例えば、

「これからは本を一つの表現媒体にしていこうと思っています」

と偉そうに言いながら、既に2年。

未だ一冊も本が出ていない。

 

今年の7月に幻冬舎からセカイサンポの文庫本がようやく出版予定だったが、未だに出口が見えない。

先月、ようやく第一稿が書きあがったばかり。

話合い、直し…などと今後の作業を考えるとまだまだ道のりは長い。

担当編集者からは来年7月出版と告げられる始末。

つまり一年遅れ。

それでも来年7月に出版されれば、とりあえず一つのほらは現実になるので、まぁ、いいかなぁとは思っている。

20年付き添ってくれているパートナーからは、

「ハングリーさが足りなさすぎる!」

とこっぴどく叱られたけれど。

 

昨年の夏から立ちあげたヤギプロジェクトに関してもやりたいことは山ほどあるとほらを吹いた。

しかし、こちらも2年目に入ったにも関わらず、思うように進んでいない。

亜紀書房で単行本にするため、この出版社のWEBでヤギの連載が始まったが、

こちらも本が出るまでには少なくとも2年はかかるだろう。

 

やりたいことを口にすることは相変わらず変わらないし、

今後も言い続けるだろう。

もちろんうまくいくことなんてなかなかない。

しかし、不思議なもので、一度や二度、頓挫していても、ずっと言い続けていると、

人のご縁や世の中のタイミングが重なり、ほらが現実になることがやってくる。

実際、5年前に言っていた企画が、ある日、突然(大げさでもなく本当に突然でした)、動きだしたことだってある。

ちなみにセカイサンポは最初に言いだしてから6年後。

そのセカイサンポは3回目の旅の準備で頓挫して止まったまま。

しかも頓挫の途中で田舎暮らしを満喫してしまっている始末。

 

口を結んでがむしゃらにぶつかっていくというよりは、

「まだまだあきらめませんよ~」といった感じなので、どうしても動きは遅くはなる。

今の時代、結果を早く求められることが多く、

僕のように企画が停まっている期間が長いと今回のように「ほら吹き」扱いされることだってあるだろう。

それも一つの見方なのだから仕方がない。

スピードの時代に合わせろと言われることもあるが、じっくり想いを持ち続けて、

タイミングを待ち、ようやく実現する企画もあると思う

その人が死ぬまで「ほら」だったかどうかなんてわからないのだから。

 

「男は黙って実行する」

と本当は心に秘めておいて実行できた方がカッコいいのだろうが、残念ながら僕にはそれだけの才能はない。

どうしても自分がやりたいことがあれば言い続けて、周囲の力をお借りして実行していくことになる。

 

さてさて、最近、ヤギとセカイサンポ以外に、白塗りのアートプロジェクトを本にしたいというほらも吹き始めた。

様々なところでほらを吹き、企画書も送ったが今のところ全敗中。

いつかタイミングが降ってくることを待ちながら今日も動き続ける。

 

 

胸に秘めた「ほら」ってどんな形だろうって思うことがあります。

 

 

 

 

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「老眼を受け入れられるか?」

2011/10/11 15:08

 

子供の頃から身体は弱かったが視力だけはよかった。

「でも、目がいい人は老眼になりやすいらしいからねぇ」

視力がいいことを友人から羨ましがられると照れくさくて、そう言っていた。

その老眼が現実になる日がこんなに早く来るとは思ってもみなかった。

 

ある日、スマートフォンの画面を眺めている時だった。

「あれ?ひょっとして来てる?」

同級生の友人がそう言った。

 

最初、意味がわからず、きょとんとした顔をしていると

「ろ・う・が・ん!」

彼はゆっくりとからかうように言った。

その時、僕はスマートフォンから顔を遠ざけながら、焦点の合うところを探していたようだ。

 

「まさか?まだ老眼には早いよ~」

僕は笑いながらも顔はひきつっていただろう。

そういえば最近、文字を読む際、ぼんやりしている気がしている。

きっとパソコンに向かっている時間が長いので、ちょっとした疲れ目だとばかり思っていた。

 

彼と別れた後、デパートの大便用のトイレに入った。

便座に座ると鞄から文庫本を取り出し、

目から20センチくらいの距離で開いてみる。

やはり、ぼんやりしていた。

 

数年前までは、たとえ最初はぼんやりしていても、カメラのレンズの焦点を合わせるように時間差で焦点が合っていた。

きっと今回も…と思いながら、延々、文字を見続けるのだが、一向に焦点が合う気配がない。

見える位置まで恐る恐る離していく。

目から30センチくらいの距離で焦点が合う。

まちがいなく老眼である。

ショックだった。

 

記憶力が悪くなったと口では言っていても、

はっきりとした形で見える現象ではないので、どこか曖昧である。

しかし、老眼のように現実として自覚できてしまうと、

身体の機能としての衰えを実感してしまう。

 

衰えた肉体にはそれなりの楽しみがある…と書きたいところだが、残念ながら今の僕には無理である。

これから少しずつ慣れていき、歳を経ていくことは自然のことなんだと思えるようにはなりたい。

「自然のこと」と書くのはカッコつけすぎかもしれない。

「仕方ないと」と受け入れる感じなのかもしれない。

肉体も大きな意味で道具なのだから。

長く使えば疲弊することは出てくることは仕方がない。

もちろん今まで以上に健康には気をつけていこうとは思っているけれど。

 

現在、アンチエイジングの研究がどんどん盛んになっている。

将来的には老化を遅らせる薬もどんどん出てくるだろう。

僕が知らないだけで既にあるのかもしれない。

考え方はいろいろあるだろうが、できるだけそういった物にお世話になりたくないなぁと思っている。

頼れば頼る程、老化に対する恐怖が増し、その先にある自分の死さえも受け入れられなくなるような気がする。

気の小さい僕の場合、アンチエイジングなどに頼り始めると、

鏡に映った自分が溶けて皺だらけになっていく夢などを見てしまいそうである。

 

なぁんて言いながら、20年後、アンチエイジングサプリメントを食事に取り入れていたりして。

 

 

健康には気をつけようと思います。

 

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「原発って悪い怪獣なの?」

2011/09/18 17:07

 

8月末。

暑い昼下がりの午後だった。

喫茶店にふらりと入り、アイスコーヒーを飲んでいた。

 

「原発って悪い怪獣なの?」

5歳くらいの女の子の声だった。

どうして、そんな言葉が彼女から出てきたのかはわからない。

ただ、前に座っていたお母さんは、

ごまかすようにして、その話を切り上げ、

逃げるように店を出て行ってしまった。

 

それよりさかのぼること半年以上前。

2月だったと思う。

スゥエーデンのエネルギー事情に興味があり、

ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を拝見した。

当時は、そこまで注目度が高い映画ではなく、客席には10名もいなかったと思う。

 

6月。

原発誘致に反対する祝島の人々に対する国や電力会社の対応に興味があり、

同じドキュメンタリー映画を拝見した。

震災後、一気に注目度が高まり、この作品はロングランを続けていた。

伺った日は上映後に鎌仲ひとみ監督と

音楽プロデューサーでap bankの代表理事でもある小林武史さんの

トークショーが開催されたこともあり、会場はほぼ満席。

 

その頃、僕は原発について考えていた…はずだった。

当然、僕の頭ではすぐに答えが出る訳もなく、

「う~ん」と唸っているうちに日々の生活に追われ、この問題は打ち消されてしまった。

情けない限りである。

 

そして、残暑厳しい日に聞いた子供の声で再び考え始める。

先週、11月公開予定の映画「カリーナの林檎~チェルノブイリの森~」の試写に伺った。

今関あきよし監督が私財を投じて2003年に創り上げた映画である。

この作品は約8年もの間、眠っていた。

 

東日本大震災の後、この作品が公開されることが決まったと連絡があった。

恐らくタイトルだけを見るとドキュメンタリー映画だと思うかもしれないが、

この作品はあくまで今関監督の世界観が詰まったフィクションの作品である。

しかし、震災後に観ている僕には、途中からフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからなくなっていく。

実際、こういった話は日本のあちこちで始まるような気がしてならない。

決して時間を元に戻すことはできない。

 

今回の震災で、エネルギーに対する感覚は変わった。

「原発って悪い怪獣なの?」

という言葉が子供の口から普通に出ることは、1年前の日本では考えにくかったと思う。

反原発を唱える人はマイノリティだと言っても過言ではなかったのだから。

 

いったい、お前は原発擁護派なのか原発反対派なのかどっちなんだ?

そう聞かれることもあるが、本音のところ、まだ言い切る自信がない。

セシウム入りの野菜と農薬だらけの野菜とどちらが健康に害を及ぼすのか。

微量のセシウムを何年も浴び続けた時、身体にどんな影響を及ぼすのか。

それさえも答えられない僕には、全ての人にとって原発が悪い怪獣とは言い切れない。

今まで頼りきってきた怪獣に。

 

ただ、これをきっかけに少なくともエネルギーが選べる社会になればいいなぁとは思っている。

 

そういえば、先日、絵本作家の五味太郎さんがトークショーの中でこんなことを言っていた。

「原発反対ってのがちょっとピンとこないんだよなぁ。

だって原発に賛成した憶えないもん」

またまた僕は、「う~ん」と唸る日々を過ごしている。

 

 

唸っていたら、スマートフォンが割れました。

正確には唸って、落として、割れました。

 

 

 

 

 

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